新年明けましておめでとうございます!!
GreenDropのわっきーです。
今年もGreenDropは「ワクワクする未来」を目指して活動していきます!
想いを形になるように表現していきたい!
本年も応援をよろしくお願い致します。
みなさまにおかれましても本年が「ワクワクする」ような、よい年となりますように!
2012年 元旦
2012年01月01日
新年明けましておめでとうございます!
posted by ゆらゆら at 11:33| Comment(0)
| 日記
2011年12月31日
【重要】GreenDropからのメール送信に関する大切なお知らせです
Blogをご覧のみなさま
日頃からGreenDrop(以下、GD)の活動をご支援いただき、誠にありがとうございます。
今年もいよいよ大晦日となりました。
みなさまにおかれましては、それぞれに新しい年を迎える準備をされていることと思います。
さて、今回GDの事務局からメール送信に関して、みなさまにお知らせがあります。
GDでは、DVDご購入の際の連絡やNewsLetterの送信などにおいて、
info@greendrop.jp
のメールアドレスを利用し、みなさまにご連絡を差し上げています。
しかし、これまで多数の方々より、上記アドレスが迷惑メールフィルターによりはじかれてしまうといったご指摘を頂いています。
そこで、DVDのご購入やNewsLetterの受け取りなどでGDからの連絡をお受け取りになる方々は、上記アドレスに対する迷惑メールフィルターの解除手続きを行って頂きますようお願い申し上げます。
みなさまにはお手数をおかけ致しまして大変申し訳ありません。何卒よろしくお願い致します。
以上、メール送信に関するご報告になります。
新しい年を迎えるにあたり、GDは「ワクワクする未来」をつくる一助になれるように、さらなる活動を行っていきたいと考えています。
みなさまにおかれましても新しく迎える年が「ワクワクする未来」となりますように願っております。
今後ともよろしくお願い致します。
よいお年をお迎えください。
日頃からGreenDrop(以下、GD)の活動をご支援いただき、誠にありがとうございます。
今年もいよいよ大晦日となりました。
みなさまにおかれましては、それぞれに新しい年を迎える準備をされていることと思います。
さて、今回GDの事務局からメール送信に関して、みなさまにお知らせがあります。
GDでは、DVDご購入の際の連絡やNewsLetterの送信などにおいて、
info@greendrop.jp
のメールアドレスを利用し、みなさまにご連絡を差し上げています。
しかし、これまで多数の方々より、上記アドレスが迷惑メールフィルターによりはじかれてしまうといったご指摘を頂いています。
そこで、DVDのご購入やNewsLetterの受け取りなどでGDからの連絡をお受け取りになる方々は、上記アドレスに対する迷惑メールフィルターの解除手続きを行って頂きますようお願い申し上げます。
みなさまにはお手数をおかけ致しまして大変申し訳ありません。何卒よろしくお願い致します。
以上、メール送信に関するご報告になります。
新しい年を迎えるにあたり、GDは「ワクワクする未来」をつくる一助になれるように、さらなる活動を行っていきたいと考えています。
みなさまにおかれましても新しく迎える年が「ワクワクする未来」となりますように願っております。
今後ともよろしくお願い致します。
よいお年をお迎えください。
posted by ゆらゆら at 17:13| Comment(0)
| お知らせ
2011年12月29日
近況報告
どうもイナです。
寒い日が続きますね。
さて、先日、ラオス編の試写会も無事終わり、それを踏まえての編集作業も大詰めの段階です。
田中優さんの講演会を開催したのが、昨年の12月ですから、あれから1年がたったわけです。
個人的には怒涛のような日々で、「もう1年か」という思いと「まだ1年か」という思いの両方あって、仕事と家庭とこの活動を、どれもちゃんとやりくりしていくのは難しいものだな、と思っています。
GreenDropは、まだまだ未熟なグループですが、小さな動きを繋げていって、色んな輪が出来るような動きができればいいなと思います。
ラオス編は1月に完成予定ですので、お楽しみに!
来年もよろしくお願いします!
寒い日が続きますね。
さて、先日、ラオス編の試写会も無事終わり、それを踏まえての編集作業も大詰めの段階です。
田中優さんの講演会を開催したのが、昨年の12月ですから、あれから1年がたったわけです。
個人的には怒涛のような日々で、「もう1年か」という思いと「まだ1年か」という思いの両方あって、仕事と家庭とこの活動を、どれもちゃんとやりくりしていくのは難しいものだな、と思っています。
GreenDropは、まだまだ未熟なグループですが、小さな動きを繋げていって、色んな輪が出来るような動きができればいいなと思います。
ラオス編は1月に完成予定ですので、お楽しみに!
来年もよろしくお願いします!
posted by ゆらゆら at 18:37| Comment(0)
| 日記
2011年12月26日
ラオスの風上映会を終えて感じたこと、考えたこと、気付いたこと
どうも
撮影スタッフのつもりが、いつのまにか今回の監督になっていたカズです。
本当にチャールストンさんや来てくれた皆さんに大感謝なのですが、意見を貰って始めて気付いたことがあったので書いてみます。
僕は人に批評されるのがすごく嫌なんですよね。
誰も皆そうかもしれないけど、自分の作った物出した物を褒められたいけど、けなされたりとか意見されるのってものすごく腹が立ったりイラッとしたり、言った相手を嫌いになったり、攻撃してしまったり。
自分の好きな作家やアーティストが批評されているのを見ただけで気分が悪くなり落ち込んでしまう。
これは本当に僕自身の弱い所なんですが、そういう嫌な気持ちになってしまうと、制御出来ずに溜め込んで大きくしてしまったり、外にネガティブな形で出してしまうんですよね。
それが嫌なら人前に出なきゃいいし、話さなきゃいいんですけど、目立ちたがりやでしかも喋りたがり屋だから本当にどうしようもないんですよね;
「人に良く思われたい」って気持ちが根底にあって、それは「君それでいいよ!」って言われたい依存心、何か指摘を受けて怒るのも「なんでOKっていってくれないんだ!(本当はOKと言って欲しい)」という依存心。
普段は平気で人のしないことをして、変人と思われても平気な風でいるし、あんまり人に言われるのを気にしないんだけど、それだって「人にこう見られたい、ひょうひょうとしているように思われたい」という願望あってのことなのかもしれないですよね。
だけども、自分の作った物とかをなんか言われる時は、いつものようにはいかないんですよね。
あと「何かやり始めよう」という時に、そのことにネガティブなことを言われたとき。
そんな時に、哀れ未熟者は怒りだし、そして後から「みっともない」と落ち込むわけです。
たま〜に三日三晩怒り続けていることもありますけど;
だからこそ、何か作った物を出す時には、すごく防衛戦を張ってしまうんです。
「ああ言われたらこう言い返してやろう」みたいなのだったり、同時に「何を言われても怒らないでいよう」とかたくなに思っていたり。。。
そういう臨戦態勢になること自体が嫌で。
まあ弱い人間なんです。
その弱さが表に出るのが本当に嫌で。
まあそんなことを言っていても、今回は編集をすることが出来るのは僕しかいなかったので、あれこれ考えず夢中でやっていたんです。
で、上映会が始まってからやっと「あっ、反応はどうなんだろう?」って不安になったりして。
でも終わった後のトークセッションや交流会も、ほとんどの人が出てくれて。
そこで僕のいるテーブルじゃなくても活発に「もっとここはこうしたらいいんじゃないか?」とか「これがよかった」とか「これがあったらさらにいい」とかいう話がされていて、それが妙に嬉しかったり。
また、見に来てくれた幼なじみに「これは本当に掛井の映画だなって思った」と言われ、そうしたらなんだか自分の子どもが自分に似ていると言われて嬉しいような、むずがゆいようなそんな気持ちになって。
それでまた色々な意見を取り入れることで「絶対この映画よくなるな」と確信したので、何を言われても有り難く思えて(すごく真剣に考えた意見ばかりだったからとも思いますが)。
本当に新鮮な体験でした。
嬉しくなってそのことを「1/4の奇跡」の入江監督に伝えたら「おめでとう。表現は自分をあきらめないことだから、まさに生き方そのものだと思っています」との言葉を頂きました。
『表現は自分をあきらめないことだから』
ということは・・・・どういうことなんだ!?
読んだ瞬間に「あっそうか!」と分かった気がしたけど、こうやって読み返してみて見るとなかなか説明できないもんですね。
つまり本質的に表現とは自分がどう見られるかどうか?ということじゃなくって、自分も分からない自分を「表現を鏡にして」掘り起こしていく作業なんじゃないかなと、その掘るのを諦めないということなんじゃないかな?と。
だとするならば、やはり作ること、磨くことに集中することがまず重要で、しっかりと集中して作った物ならば、それはそれでもう命がある物だから、自分の延長線として捉えないでいられるのかもしれない。
例えばこの前の講演会のDVDジャケットは、慌てて作って、あれこれ言われて傷つくのを相当に恐れていた。
片手間に作った物は、まだ自分から離れていないからこそ、自分が批判されたような気がしてしまう。
そしてその誰かの言葉にあわせようと思ってしまっている所がある。
誰かの言葉を無視出来ないから批判されたと感じるのだろうと思う。
向き合う場所を間違えているというべきなのだろうか?
往々にして、人の感情の不幸はそういうところに起こるのではないだろうか?
インスタントなやり取り、本当に没入しないで行われる表現。
そしてそれを良しとしてしまう自分自身。
自分の繰り返して来たことは、そういうことなのかなと思う。
音楽にしても然り、手軽に自分の深い所にある物を引き出そうとしていたと感じる。
でもそれはそれでいいのかな?
それは見る人を意識しないということとは全く別物で、まず対象に没入する。
その上で編集するときに自分の目線で対象を、そのものの本質を映し出せるようにフィルムを磨いていく。
その磨く過程でこそ、自分がいやおうなしにそのものの表現に参入してしまうのだろう。
もちろんそれは何を撮るかという時点でもそうだし、撮っている時点で撮る人と取られる対象との関係がフィルムに現れてしまう。
カウンセリング、精神分析の考え方に、「関与しながらの観察」という言葉がある。
どんなに相手の心を映し出す真っ白なスクリーンになろうとしても、その自分の存在自体が相手に影響を与えてしまう。
ならばそのことを意識しながら相手を観察していくことが必要であるという考えで、当然これは科学とカウンセリングを隔てる点でもあるのだけども。
ダイ君に勧められて読んだドキュメンタリー作家の方法論として、カウンセリングのこととして知ってか知らずか「関与しながらの観察」という言葉が使われていた。『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(想田和弘/講談社現代新書 2011)
ドキュメンタリーという表現方法を突き詰めていくと、対象を追求すること、自分を消すことに集中して、結果それでも匂い経つ自分をまた、作家自身が発見するということなのかな?と思う。
そこまでくれば作品自体が自分を見つめるための対象にもなりえて、そこにさらに与えられる作品を見た人の言葉は、今の時点では作品をさらに良くするための言葉以上の意味は持たず、もう僕が感情的に動揺したり、苦しんだりするものではないのだろうかとも思う。
最終的に商品として出来上がった時点で出てくる批判や評判に対しては、どんな風に感じることが出来るのか、そのことが楽しみでもあり、できれば自分のバカ息子を愛でるように出来上がった作品を愛でれたらと思いつつ、磨いている所です。
七月に出すって言っていてこんな時期になって申し訳なかったですが、でもそのとき無理に出していたらやっぱり片手間の、批評に怯えなきゃいけないような、そんなものになってしまっていたんじゃないかな?って思います。
ラストスパートのさらにラストスパート!
一月中には皆さんの元に届けられますように。
かずっち
撮影スタッフのつもりが、いつのまにか今回の監督になっていたカズです。
本当にチャールストンさんや来てくれた皆さんに大感謝なのですが、意見を貰って始めて気付いたことがあったので書いてみます。
僕は人に批評されるのがすごく嫌なんですよね。
誰も皆そうかもしれないけど、自分の作った物出した物を褒められたいけど、けなされたりとか意見されるのってものすごく腹が立ったりイラッとしたり、言った相手を嫌いになったり、攻撃してしまったり。
自分の好きな作家やアーティストが批評されているのを見ただけで気分が悪くなり落ち込んでしまう。
これは本当に僕自身の弱い所なんですが、そういう嫌な気持ちになってしまうと、制御出来ずに溜め込んで大きくしてしまったり、外にネガティブな形で出してしまうんですよね。
それが嫌なら人前に出なきゃいいし、話さなきゃいいんですけど、目立ちたがりやでしかも喋りたがり屋だから本当にどうしようもないんですよね;
「人に良く思われたい」って気持ちが根底にあって、それは「君それでいいよ!」って言われたい依存心、何か指摘を受けて怒るのも「なんでOKっていってくれないんだ!(本当はOKと言って欲しい)」という依存心。
普段は平気で人のしないことをして、変人と思われても平気な風でいるし、あんまり人に言われるのを気にしないんだけど、それだって「人にこう見られたい、ひょうひょうとしているように思われたい」という願望あってのことなのかもしれないですよね。
だけども、自分の作った物とかをなんか言われる時は、いつものようにはいかないんですよね。
あと「何かやり始めよう」という時に、そのことにネガティブなことを言われたとき。
そんな時に、哀れ未熟者は怒りだし、そして後から「みっともない」と落ち込むわけです。
たま〜に三日三晩怒り続けていることもありますけど;
だからこそ、何か作った物を出す時には、すごく防衛戦を張ってしまうんです。
「ああ言われたらこう言い返してやろう」みたいなのだったり、同時に「何を言われても怒らないでいよう」とかたくなに思っていたり。。。
そういう臨戦態勢になること自体が嫌で。
まあ弱い人間なんです。
その弱さが表に出るのが本当に嫌で。
まあそんなことを言っていても、今回は編集をすることが出来るのは僕しかいなかったので、あれこれ考えず夢中でやっていたんです。
で、上映会が始まってからやっと「あっ、反応はどうなんだろう?」って不安になったりして。
でも終わった後のトークセッションや交流会も、ほとんどの人が出てくれて。
そこで僕のいるテーブルじゃなくても活発に「もっとここはこうしたらいいんじゃないか?」とか「これがよかった」とか「これがあったらさらにいい」とかいう話がされていて、それが妙に嬉しかったり。
また、見に来てくれた幼なじみに「これは本当に掛井の映画だなって思った」と言われ、そうしたらなんだか自分の子どもが自分に似ていると言われて嬉しいような、むずがゆいようなそんな気持ちになって。
それでまた色々な意見を取り入れることで「絶対この映画よくなるな」と確信したので、何を言われても有り難く思えて(すごく真剣に考えた意見ばかりだったからとも思いますが)。
本当に新鮮な体験でした。
嬉しくなってそのことを「1/4の奇跡」の入江監督に伝えたら「おめでとう。表現は自分をあきらめないことだから、まさに生き方そのものだと思っています」との言葉を頂きました。
『表現は自分をあきらめないことだから』
ということは・・・・どういうことなんだ!?
読んだ瞬間に「あっそうか!」と分かった気がしたけど、こうやって読み返してみて見るとなかなか説明できないもんですね。
つまり本質的に表現とは自分がどう見られるかどうか?ということじゃなくって、自分も分からない自分を「表現を鏡にして」掘り起こしていく作業なんじゃないかなと、その掘るのを諦めないということなんじゃないかな?と。
だとするならば、やはり作ること、磨くことに集中することがまず重要で、しっかりと集中して作った物ならば、それはそれでもう命がある物だから、自分の延長線として捉えないでいられるのかもしれない。
例えばこの前の講演会のDVDジャケットは、慌てて作って、あれこれ言われて傷つくのを相当に恐れていた。
片手間に作った物は、まだ自分から離れていないからこそ、自分が批判されたような気がしてしまう。
そしてその誰かの言葉にあわせようと思ってしまっている所がある。
誰かの言葉を無視出来ないから批判されたと感じるのだろうと思う。
向き合う場所を間違えているというべきなのだろうか?
往々にして、人の感情の不幸はそういうところに起こるのではないだろうか?
インスタントなやり取り、本当に没入しないで行われる表現。
そしてそれを良しとしてしまう自分自身。
自分の繰り返して来たことは、そういうことなのかなと思う。
音楽にしても然り、手軽に自分の深い所にある物を引き出そうとしていたと感じる。
でもそれはそれでいいのかな?
それは見る人を意識しないということとは全く別物で、まず対象に没入する。
その上で編集するときに自分の目線で対象を、そのものの本質を映し出せるようにフィルムを磨いていく。
その磨く過程でこそ、自分がいやおうなしにそのものの表現に参入してしまうのだろう。
もちろんそれは何を撮るかという時点でもそうだし、撮っている時点で撮る人と取られる対象との関係がフィルムに現れてしまう。
カウンセリング、精神分析の考え方に、「関与しながらの観察」という言葉がある。
どんなに相手の心を映し出す真っ白なスクリーンになろうとしても、その自分の存在自体が相手に影響を与えてしまう。
ならばそのことを意識しながら相手を観察していくことが必要であるという考えで、当然これは科学とカウンセリングを隔てる点でもあるのだけども。
ダイ君に勧められて読んだドキュメンタリー作家の方法論として、カウンセリングのこととして知ってか知らずか「関与しながらの観察」という言葉が使われていた。『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(想田和弘/講談社現代新書 2011)
ドキュメンタリーという表現方法を突き詰めていくと、対象を追求すること、自分を消すことに集中して、結果それでも匂い経つ自分をまた、作家自身が発見するということなのかな?と思う。
そこまでくれば作品自体が自分を見つめるための対象にもなりえて、そこにさらに与えられる作品を見た人の言葉は、今の時点では作品をさらに良くするための言葉以上の意味は持たず、もう僕が感情的に動揺したり、苦しんだりするものではないのだろうかとも思う。
最終的に商品として出来上がった時点で出てくる批判や評判に対しては、どんな風に感じることが出来るのか、そのことが楽しみでもあり、できれば自分のバカ息子を愛でるように出来上がった作品を愛でれたらと思いつつ、磨いている所です。
七月に出すって言っていてこんな時期になって申し訳なかったですが、でもそのとき無理に出していたらやっぱり片手間の、批評に怯えなきゃいけないような、そんなものになってしまっていたんじゃないかな?って思います。
ラストスパートのさらにラストスパート!
一月中には皆さんの元に届けられますように。
かずっち
posted by ゆらゆら at 19:49| Comment(0)
| 進行
2011年12月21日
試写会&トーク&交流会、ありがとうございました!!
12月18日の「ラオスの風」試写会&トークinチャールストン、無事行うことができました
監督の掛井一徳氏は、冷や汗ダラダラだった、とのことでしたが、
いい雰囲気の中で、貴重な意見もたくさん頂くことができ、とても有意義な会になったと思います。
その後の交流会も、すごく盛り上がりました☆楽しかったーー(*^^*)
向こうのテーブルではどんな話をしていたか分かりませんが、
こっちのテーブルはかなり濃ゆーい話炸裂してました☆
時代別・国別の結婚観とか・・(イスラム教は一夫多妻制だけど、その分浮気の心配がないから安心って、知ってました??)
素敵な出逢いに、感謝!!です!
準備から何から大変お世話になりました、チャールストンさん、
暗幕を貸してくださった秋田さん、
寒い中、足を運んでくださったみなさん(さらに準備まで協力してくださり、ありがとうございます!)、
協力してくれたメンバー、
来れなかったけど想いを送ってくれたみなさん、
本当に、ありがとうございました!
笑顔が、誠実な想いが、思いやりが、こんなあたたかい時間が、
輝くような宝物です。
これからも、GreenDropは、こんな瞬間を抱きしめながら、一歩一歩踏みしめて、歩いていきたいと思います。
どうぞ、よろしくお願いいたします!
監督の掛井一徳氏は、冷や汗ダラダラだった、とのことでしたが、
いい雰囲気の中で、貴重な意見もたくさん頂くことができ、とても有意義な会になったと思います。
その後の交流会も、すごく盛り上がりました☆楽しかったーー(*^^*)
向こうのテーブルではどんな話をしていたか分かりませんが、
こっちのテーブルはかなり濃ゆーい話炸裂してました☆
時代別・国別の結婚観とか・・(イスラム教は一夫多妻制だけど、その分浮気の心配がないから安心って、知ってました??)
素敵な出逢いに、感謝!!です!
準備から何から大変お世話になりました、チャールストンさん、
暗幕を貸してくださった秋田さん、
寒い中、足を運んでくださったみなさん(さらに準備まで協力してくださり、ありがとうございます!)、
協力してくれたメンバー、
来れなかったけど想いを送ってくれたみなさん、
本当に、ありがとうございました!
笑顔が、誠実な想いが、思いやりが、こんなあたたかい時間が、
輝くような宝物です。
これからも、GreenDropは、こんな瞬間を抱きしめながら、一歩一歩踏みしめて、歩いていきたいと思います。
どうぞ、よろしくお願いいたします!
posted by ゆらゆら at 21:29| Comment(2)
| 日記
